孝行

8月 26, 2006

ドラマになって、たくさんの人たちの涙をさそったお話を過去

いくつかみたことがある。

たしかに、いかに観衆の涙を誘うかが目的のひとつでもある

ことから、目頭を熱くするシーンはある。

ところが、感動の仕方っていつも一様ではなかった。

ほとんどフィクションというドラマの場合は、うまくできた話だとか

悲しい話だね、でおしまい。

ところが、実話や、こちらが見聞きした実話と近い内容やタッチを

もったフィクションというのは、ドラマとしてできている部分に反応する

部分と、こちらの身近な話と接点があまりに生々しくて、

涙をそそうというだけでなくなってしまう。

目頭が熱くなるっていう涙じゃなくて、心の中でぽっかりと、なんだろう。

誰かのの死を知るということを、全然知らない人の死と、親友あるいはその

家族、あるいは自分の家族の誰かという場合をそれぞれ考えてみるといい。

みたこともない、聞いたこともなかった、ましてやあったこともない人が亡くなった

というニュースをみても、それだけで泣いたりする人はいないだろう。

親友、家族といった近い関係にある誰かが亡くなった場合というのは、泣いて

その悲しみを追悼する、それでも ほころびが繕えないような気持に溺れてしまって

いるような、そんな心になる。

いつか親孝行したいと思っていた彼の思いは、結局叶うことなく、しかも最後の
別れさえ告げることできずに親を失ってしまった。

生まれてしばらくして大病に見舞われた幼子だった彼を、なりふりかまわず守り
救おうとした親の姿が、年端のいかない彼のおさない記憶に残っているらしい。

大病は難病と診断され、同じ病気だった同じ病室の友達たちの数は、いつしか

減っていった。

彼も、もうダメだろうという瞬間があったらしいが、小学校に入学、そして中学へと

進学。

中学に入ってしばらくして、病院でいつまでの命かも知れないと幼い頃に

告知されたことを思い出させるような瞬間が幾度かあったらしい。

そうしたビクッとする瞬間を乗り越える度に、このまま人生をつつがなく過ごせる

んじゃないだろうかと思うようになったらしい。

結局、高校から大学、就職というように、誰もが当然すすめる道以上の半生を

過ごすことができたようだった。そして、最後のお別れを告げる機会もなく親を

亡くしたらしい。

そのうち小さい頃迷惑や心配をかけた分以上に親孝行したいと思っていた

のに、結局何もできず、親を失ったという格好になってしまったようだ。

それから、何年か過ぎ、何も親孝行できなかった親に対して、なんてオレって

親不孝な奴なんだと自分を責めていた彼だけれど、

彼の子供が思春期にさしかかっている。

自身を慰めるためではないらしいが、親として

子供にしてもらいたい孝行とはなんだろう、を考えたらしい。

こどもに望むことが叶うこと。

苦労してもいい、でも、精一杯生きることができたと悔いを残さない

人生を歩んでくれることが、一番の孝行だろうか。

そう思ったあと、彼の親もそう思ったのだろうかと。

身勝手で、我侭で、苦労の種にしかならなかった。
何も親孝行できなくて、
ほんと、ごめん、

思いたいことと、思うこととは、まとめられそうでまとまらないものらしい。

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