いつか父となる子へ捧げる言葉 (4)
9月 25, 2006
学生の頃、下宿をいくつか引越しした。
都会にでてきて、様子がよく分からない頃というのは、学内の掲示板などで斡旋されている下宿、学生ハウス(だっけ?)などへお世話になることが多い。
学生生活にも慣れてくると、友人もでき、彼らが下宿している場所を訪問する機会もでてくる。
仲間の下宿をあちこちみていくうちに、こちらが下宿しているところで気になっていた不便さを比較してしまう。
リッチな学生生活を送ろうとか、そもそも送れる立場にもなかったから、快適に就寝できる、安い、清潔、ほどほどのスペース、こうしたポイントあたりからどこで下宿、あるいはアパートを借りるかを決めたように思う。
学生生活をはじめて最初の頃は、下宿だったのが、慣れてきたら、安アパートを借りるようになっていた。
下宿って、一応個人の部屋はあるけれど、寮のような団体生活のようなものをつくりたがる住居人がいたり、場所によっては、数人が徒党を組んでしまいほかの住人への迷惑おかまいなしな行動をとることもあったりする。
度を越した事態(例えば、夜中に近所迷惑になるくらいなバカ騒ぎやらかすとか)だと、大家、管理人が注意することもあるが、ほとんどはその場しのぎしたあと、再度繰り返す。とくに、同じ学校の生徒ばかりが住人であると、まだなんとなく雰囲気が安定感をもっていたのが、住人の所属が複数の違う学校であったので、どことなくぎこちなかったところもあった。
ぎこちないとは言っても、学校についての話題に共通点が少ないというだけで、実際にはそうしたぎこちなさも、下宿先界隈の話題に共通点を見出すことで解消されていたのかも知れない。
夜更けに、ひとり24時間オープンしていた牛丼を食べにいくよりも、下宿で起きていた誰かを誘って出かけるということもできた。
近所はとにかく似たような下宿屋が多かった。
友人、クラスメイトなどがいた別の下宿を渡り歩くのも、ときにはおもしろかった。
どうだろう、不思議と同じ下宿に数人同じ学校の学生が住んでいることは少なかった。慣れてくると、知り合いになった学生たちの下宿を50件近くみたかと思う。下宿していた学生たちのほかに地元から通学していた友人の家へも足を運んだりしたので、そうした友人訪問だけでも行動範囲はかなり広範囲に渡っていたと思う。
そう考えると、えらくたくさん知り合いや友人が増えたのが大学生時代だった。
教室や学内では、見た目にはありふれた学生として見えなかった彼らも、下宿に遊びにいったり、自宅へおじゃましたりして彼等の世界に意図せず首を突っ込んでしまうと、平凡な学生生活を送っているようにみえていた彼らの私生活は、それほど平凡でなかったりもした。
たとえば、片親、両親不在といった家庭環境を目の当たりにした。
だからと言って、つらいとか悲しいとかいった素振りをみせることもなく、生き生きと人生を歩んでいた彼等が将来の抱負や夢などを語るのを聞く日々を過ごしていくと、へこたれそうになった時、彼等に負けるもんかという勇気が湧いてくる。
そんな日々を過ごしながら、下宿生活というものを経験したあとは、安アパートに住むようになった。引っ越したあとも、友人を訪問しなくなったわけではないので、感覚的には距離がちょっとひろくなっただけで、共同生活らしき片鱗をもった寮的な下宿生活から、やや距離をおいた共存空間という形でつきあいは続いた。
校内であいさつした程度とか、ただ授業が一緒になったといった類の知り合いをのぞいても、いま思うと毎日というとおおげさだけれど、毎週あらたに知り合いになった人の数は膨大なものだった。
なにか利害関係が存在して知り合うわけでなかったから、奇妙といえば奇妙に見えるのは、社会人として会社の仕事がらみで人と知り合う立場になった時、当時を振り返った感想だろうか。
学生というステータスで知りえたひとたちのほかに、アルバイト先で知り合ったひとたちもかなりな数いたから、世の中ってほんと様々な考え、生活をしているひとたちがいるのだと実感できた時期でもあった。
でも、その時は、そのことをいま思うようには捉えたり、意識したこともなかった。
いつか父となる子へ捧げる言葉 (3)
9月 19, 2006
こどもが成長するにつれ、親は親としての役目の終わりが近づくと感じることが多くなる。
そうした言い方は寂しくもあり、悲しくもある。
でも、それが現実でもある。
形あるものがいつしかその形が変化し、そしてなくなる。
寂しいものですが、なくならない、もとから形をもたない心や気持は残るからそれだけでもよしとすると考えがちな性格であるようです。
ひとの欲望、欲心というのも多くの場合は、あれが欲しい、これが欲しいと形あるものに惹かれるところから生まれるものだと考えたりもします。
ところが、あれもこれも、どれもこれも手にはいってしまうと、実は欲しくてもこちらが欲しい、手に入れるという努力で何とかならないのが、形のないものだったりもします。
形ないものの場合は、こちらが欲しいという気持が高まることで近づくよりも、形ないものの方がこちらを向いてくることで知らずに手中にしていることって多くありませんか?
そうすべきだとか、そうすることがいいということではありませんが、欲しいと思う気持を強くもつよりも、与えることができる、与えたいと思える気持が自然に芽生える心を大切にしたい。
世間は、そんな心をもつひとを必ずしも優遇しないという現実もありますが、だからと言って、ひとり身勝手な自分さえよければという気持で、誰かを傷つけたり苦しめたりする結果に陥れてしまうような考えはたとえむらむらと脳裏に浮かんだとしても、可能な限り行動に反映させるべきではないでしょう。
食欲同様に、心の胃袋も腹八分目、自分を満たす欲ボックスも腹二分目あたりで、ほどよいように思います。
歳くってくると、野心が家族愛に向けるエネルギーによって翳ってくるのか、無謀な野心的取り組みから堅実な中庸野心のように野心どころが変化してくるようです。
でも、まったく野心ゼロになることもなく、家族へ向ける愛情に100%覆われることはないようです。
家族をもったから、家族第一だと考えるように、日ごと年ごとに、野心が消えうせるかというと、なかなか消えないもののようです。
家族を思うときのようなどこかマイルドなオブラートに包まれた野心とでも言うのでしょうか。
そうではなく、野心の炎が心にうずまく勢いを静めることなく、だけれども現実は家族への義理が野心に挑む勇気を圧迫していて、その結果としてその叶わない願望が仕事、あるいは家族への対応や行動でマイナスなりアクションとなってあたるということはないのでしょうか。
どうすれば、そうした葛藤による心の目指す方向とは違った行動をとらずにすむか?
まずは、家族に何かを思い、何かをするというのは「義理」でもなく、押し付けられた「義務」ではないということを知ることでしょう。
家族ということばと現実の中では、多くの場合、どうしてオレっちの家族ってこうなんだろうと思う前に、そのオレっちはどうなんだい?と自分を振り返ることが出発点であると考えます。
考えると、そう思えるとかそうできるとかは、残念ながら気持ほどにリンク、シンクロしてくれないのも現実です。シンプルに、妻よ、子よ、ありがとう、と思える自分になることから、一歩踏み出すと案外次の一歩も見えてきたりするのでしょう。
不思議なもので、天地がひっくり返っても決してこちらの心に答えてはくれないだろうと思っていた相手 – 妻であり、子 – が反応してくれるようになるものです。
嫌だと思ってする努力は、ざぶとんにもならないくらい役に立たないものです。どうして嫌な気になってしまうかは、一足飛びに努力を詰め込むからじゃないでしょうか。まずは、嫌もイェイもないくらい素朴で、何気なく自分を素直にできる、ありがとう、を心に刻むあたりから、ということでしょうね。
決して、何日そうすれば、思ったような雰囲気にできると思わない方がいいでしょう。何日かかろうと、何年かかろうと、一生かかろうと、そうありたいと思える気持ちをもてるかどうか。
家の外では、否応無く利害で左右される世界が存在しているわけですが、せめて家の中ではそうした利害を計算しない自分で家族に接することがいつしかそれまで見えていなかった宝物を目にすることもあるでしょう。
まぁ、きれいごとにしか聴こえないことばかり書いてしまっていますが、つきつめていくと、一生を悔いなく過ごしたと最後の日に思える自分でありたいか、どうでもいいか、を考えれば、形あるものに未練を残すことよりも形ないものに未練を残さない一生だったと思いたい、そんなところ。
形にならない、言葉にならない、でも、自分で自分にならないことは不可能じゃないから。
駄目押しで、
自分に悔いが残るのは、誰かがその悔いを悔いだと思っていたり、そうなんじゃないだろうかと自分が思ってしまうから悔いになるのだろうから、どんなことでも悔いだと思わないそんな家族にできれば、悔いなんか残らないはず。家族を自分の家族として心からいとしむための期限は、自分が家族の一員である期間ずっとです。
いつか父となる子へ捧げる言葉 (2)
9月 2, 2006
だんだんというか、まったくフィクションな方向を向いてしまったから、これって本当に、いつか父になるこどもへ伝いたい言葉なのってふうに話がずれまくりだ。
話がフィクションであってもなくても、もしかして彼らがこのブログが読めるようなことがあれば、あぁ、オヤジってこんなこと書いていたりしたんだと思いながら、俺らのオヤジってどんな人なのかを知ってくれれば、それでいいのだから。
高校の時だっただろうか、父親になったとしたらどんな風に自分のこどものことをみるんだろうかを想像したのは、
杉田二郎の、 ANAK 息子
という曲を聴いた時だったかな。
それを聴いたよなぁという記憶ばかりが強くて、どんな歌だったのかは覚えていない。
喜怒哀楽と恋愛感情って違うものなんだろうか?
好きだ、愛しているという瞬間って怒った、笑ったふうな延長だったりなんて考えると、いけないだろうか。
初恋というか、はじめて誰かのことをいてもたってもいられなくなる衝動に包まれたときというのは、人生で最初の不思議な瞬間でもあり、純なハプニングであったりもする。
甘美な出来事で終わることもあれば、苦々しい思い出に終わることもあるだろう。
ある日突然、誰かにほのかな想いが芽生えるというのは、計画的に起こる出来事でもなく、誰かの作為によって生じるものでないから、そう、突然起きるハプニングだと思える。
どんな初恋をするのか、その初恋で何を思い、悩み、学ぶのか。
恋をするとか、恋を想うとか、赤ちゃんがはいはいを覚えるようにはいかないようで、ひとの成長の中で避けては通れない分岐路であったり、人が学習するものの中ではウルトラCなワザを覚えるようなものなのかな。
ところが、ひとって器用なひともいれば不器用だったりもするから、できそうでできずに繰り返すさかあがりがそうだったり、練習もせずにすっとできたり、だったりする。
だけど、そんなふうに似ているようで、ひとりで練習できたり独習できるものではない。
たぶん、勉強、仕事よりももっと大事なものなんじゃないだろうか。
かならずしも、器用な恋ができるひとになって欲しいということではない。
器用というよりも、素直な恋や愛することができるひととして人生を過ごしてもらいたい、かな。
あーなって欲しい、こうなって欲しいと勝手にこちらが望んでみても、その望み通りな人生航路、人生劇場となるかどうかは本人次第三割、あと七割は運であったり、友情であったり、家族やまわりといった本人以外のことに依存・左右される。
だからといって、どうせ努力しても、がんばっても、よかった・わるかったのいずれになるかの確率はたった三割だからと最初から諦めたら、勝てる勝負も勝てなくなる。
まずは、ひとりだけが三割だからじゃなくて、みんなも三割だと分かれば、どちらに転んでいこうと、軌道修正できるはず。
本人の意思と努力が結果に及ぼす可能性が三割という具合な三割。ついていないことが続くと、ばかばかしくてやってられないと思いたくなるだろうけれど、いつまでもそうでないだろうというのは、そう続くかどうかもラッキーであって欲しい期待と結果の打率が三割なように、アンラッキーな打率も三割だろうから。
ひとよりも、少しでも余分に何かをつかもうとすると、つかもうとする分だけの努力が必要になるんだろうな。
得した気がするほどには栄養になってくれない努力というビタミン。どれだけ努力しても回数ごとの摂取必要量に上限があるからなのか、まとめて努力しても効果がないようにみえたりする。
何のため、どんな努力?
っていうのが簡単なようで、一番難しく、大変なパートのようだ。
ちょっと話がちんぷんかんぷんになってしまっているけれど、
喜怒哀楽での自然なリアクションごとく、恋愛も自然なリアクションがどこかで、淀むことなく互いに波打ち続けることができれば、たぶん何事もなく平穏無事な時間の経過として一生が流れていくのだろう。
そうできるのが、ベストだよっていうわけでもないけれど。。。