いつか父となる子へ捧げる言葉 (3)
9月 19, 2006
こどもが成長するにつれ、親は親としての役目の終わりが近づくと感じることが多くなる。
そうした言い方は寂しくもあり、悲しくもある。
でも、それが現実でもある。
形あるものがいつしかその形が変化し、そしてなくなる。
寂しいものですが、なくならない、もとから形をもたない心や気持は残るからそれだけでもよしとすると考えがちな性格であるようです。
ひとの欲望、欲心というのも多くの場合は、あれが欲しい、これが欲しいと形あるものに惹かれるところから生まれるものだと考えたりもします。
ところが、あれもこれも、どれもこれも手にはいってしまうと、実は欲しくてもこちらが欲しい、手に入れるという努力で何とかならないのが、形のないものだったりもします。
形ないものの場合は、こちらが欲しいという気持が高まることで近づくよりも、形ないものの方がこちらを向いてくることで知らずに手中にしていることって多くありませんか?
そうすべきだとか、そうすることがいいということではありませんが、欲しいと思う気持を強くもつよりも、与えることができる、与えたいと思える気持が自然に芽生える心を大切にしたい。
世間は、そんな心をもつひとを必ずしも優遇しないという現実もありますが、だからと言って、ひとり身勝手な自分さえよければという気持で、誰かを傷つけたり苦しめたりする結果に陥れてしまうような考えはたとえむらむらと脳裏に浮かんだとしても、可能な限り行動に反映させるべきではないでしょう。
食欲同様に、心の胃袋も腹八分目、自分を満たす欲ボックスも腹二分目あたりで、ほどよいように思います。
歳くってくると、野心が家族愛に向けるエネルギーによって翳ってくるのか、無謀な野心的取り組みから堅実な中庸野心のように野心どころが変化してくるようです。
でも、まったく野心ゼロになることもなく、家族へ向ける愛情に100%覆われることはないようです。
家族をもったから、家族第一だと考えるように、日ごと年ごとに、野心が消えうせるかというと、なかなか消えないもののようです。
家族を思うときのようなどこかマイルドなオブラートに包まれた野心とでも言うのでしょうか。
そうではなく、野心の炎が心にうずまく勢いを静めることなく、だけれども現実は家族への義理が野心に挑む勇気を圧迫していて、その結果としてその叶わない願望が仕事、あるいは家族への対応や行動でマイナスなりアクションとなってあたるということはないのでしょうか。
どうすれば、そうした葛藤による心の目指す方向とは違った行動をとらずにすむか?
まずは、家族に何かを思い、何かをするというのは「義理」でもなく、押し付けられた「義務」ではないということを知ることでしょう。
家族ということばと現実の中では、多くの場合、どうしてオレっちの家族ってこうなんだろうと思う前に、そのオレっちはどうなんだい?と自分を振り返ることが出発点であると考えます。
考えると、そう思えるとかそうできるとかは、残念ながら気持ほどにリンク、シンクロしてくれないのも現実です。シンプルに、妻よ、子よ、ありがとう、と思える自分になることから、一歩踏み出すと案外次の一歩も見えてきたりするのでしょう。
不思議なもので、天地がひっくり返っても決してこちらの心に答えてはくれないだろうと思っていた相手 – 妻であり、子 – が反応してくれるようになるものです。
嫌だと思ってする努力は、ざぶとんにもならないくらい役に立たないものです。どうして嫌な気になってしまうかは、一足飛びに努力を詰め込むからじゃないでしょうか。まずは、嫌もイェイもないくらい素朴で、何気なく自分を素直にできる、ありがとう、を心に刻むあたりから、ということでしょうね。
決して、何日そうすれば、思ったような雰囲気にできると思わない方がいいでしょう。何日かかろうと、何年かかろうと、一生かかろうと、そうありたいと思える気持ちをもてるかどうか。
家の外では、否応無く利害で左右される世界が存在しているわけですが、せめて家の中ではそうした利害を計算しない自分で家族に接することがいつしかそれまで見えていなかった宝物を目にすることもあるでしょう。
まぁ、きれいごとにしか聴こえないことばかり書いてしまっていますが、つきつめていくと、一生を悔いなく過ごしたと最後の日に思える自分でありたいか、どうでもいいか、を考えれば、形あるものに未練を残すことよりも形ないものに未練を残さない一生だったと思いたい、そんなところ。
形にならない、言葉にならない、でも、自分で自分にならないことは不可能じゃないから。
駄目押しで、
自分に悔いが残るのは、誰かがその悔いを悔いだと思っていたり、そうなんじゃないだろうかと自分が思ってしまうから悔いになるのだろうから、どんなことでも悔いだと思わないそんな家族にできれば、悔いなんか残らないはず。家族を自分の家族として心からいとしむための期限は、自分が家族の一員である期間ずっとです。