学生の頃、下宿をいくつか引越しした。

都会にでてきて、様子がよく分からない頃というのは、学内の掲示板などで斡旋されている下宿、学生ハウス(だっけ?)などへお世話になることが多い。

学生生活にも慣れてくると、友人もでき、彼らが下宿している場所を訪問する機会もでてくる。

仲間の下宿をあちこちみていくうちに、こちらが下宿しているところで気になっていた不便さを比較してしまう。

リッチな学生生活を送ろうとか、そもそも送れる立場にもなかったから、快適に就寝できる、安い、清潔、ほどほどのスペース、こうしたポイントあたりからどこで下宿、あるいはアパートを借りるかを決めたように思う。

学生生活をはじめて最初の頃は、下宿だったのが、慣れてきたら、安アパートを借りるようになっていた。

下宿って、一応個人の部屋はあるけれど、寮のような団体生活のようなものをつくりたがる住居人がいたり、場所によっては、数人が徒党を組んでしまいほかの住人への迷惑おかまいなしな行動をとることもあったりする。

度を越した事態(例えば、夜中に近所迷惑になるくらいなバカ騒ぎやらかすとか)だと、大家、管理人が注意することもあるが、ほとんどはその場しのぎしたあと、再度繰り返す。とくに、同じ学校の生徒ばかりが住人であると、まだなんとなく雰囲気が安定感をもっていたのが、住人の所属が複数の違う学校であったので、どことなくぎこちなかったところもあった。

ぎこちないとは言っても、学校についての話題に共通点が少ないというだけで、実際にはそうしたぎこちなさも、下宿先界隈の話題に共通点を見出すことで解消されていたのかも知れない。

夜更けに、ひとり24時間オープンしていた牛丼を食べにいくよりも、下宿で起きていた誰かを誘って出かけるということもできた。

近所はとにかく似たような下宿屋が多かった。

友人、クラスメイトなどがいた別の下宿を渡り歩くのも、ときにはおもしろかった。

どうだろう、不思議と同じ下宿に数人同じ学校の学生が住んでいることは少なかった。慣れてくると、知り合いになった学生たちの下宿を50件近くみたかと思う。下宿していた学生たちのほかに地元から通学していた友人の家へも足を運んだりしたので、そうした友人訪問だけでも行動範囲はかなり広範囲に渡っていたと思う。

そう考えると、えらくたくさん知り合いや友人が増えたのが大学生時代だった。

教室や学内では、見た目にはありふれた学生として見えなかった彼らも、下宿に遊びにいったり、自宅へおじゃましたりして彼等の世界に意図せず首を突っ込んでしまうと、平凡な学生生活を送っているようにみえていた彼らの私生活は、それほど平凡でなかったりもした。

たとえば、片親、両親不在といった家庭環境を目の当たりにした。

だからと言って、つらいとか悲しいとかいった素振りをみせることもなく、生き生きと人生を歩んでいた彼等が将来の抱負や夢などを語るのを聞く日々を過ごしていくと、へこたれそうになった時、彼等に負けるもんかという勇気が湧いてくる。

そんな日々を過ごしながら、下宿生活というものを経験したあとは、安アパートに住むようになった。引っ越したあとも、友人を訪問しなくなったわけではないので、感覚的には距離がちょっとひろくなっただけで、共同生活らしき片鱗をもった寮的な下宿生活から、やや距離をおいた共存空間という形でつきあいは続いた。

校内であいさつした程度とか、ただ授業が一緒になったといった類の知り合いをのぞいても、いま思うと毎日というとおおげさだけれど、毎週あらたに知り合いになった人の数は膨大なものだった。

なにか利害関係が存在して知り合うわけでなかったから、奇妙といえば奇妙に見えるのは、社会人として会社の仕事がらみで人と知り合う立場になった時、当時を振り返った感想だろうか。

学生というステータスで知りえたひとたちのほかに、アルバイト先で知り合ったひとたちもかなりな数いたから、世の中ってほんと様々な考え、生活をしているひとたちがいるのだと実感できた時期でもあった。

でも、その時は、そのことをいま思うようには捉えたり、意識したこともなかった。

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