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	<title>心のつぶやき、独り言</title>
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	<description>日本語もばっちしだね、ここ。 所詮、心の中の独り言なだら、つぶやく本人にしか分からないかも知れない。</description>
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		<title>心のつぶやき、独り言</title>
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		<title>心のバグ</title>
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		<pubDate>Sun, 12 Nov 2006 21:15:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[心フォルダー]]></category>

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		<description><![CDATA[こどもの頃に培われる感受性は、学校の教科書にみるお手本同様に、おとなの社会に入り込んだ時には正論でありながらも強く生きていくためには直接には役に立たないというものなのだろうか。
こどもに小言を言う時、通り一遍なことばで言動をいなそうとする時、彼らに語りかける一言二言はそもそもどのように受け取られているのだろうかと、言ったあと考えてしまうことがある。
理想郷を夢見ることがないこともないけれど、冷めた思考でその理想郷をながめると、結局は現実のいくつかある嫌な状況や敬遠したい事態を単に避けているだけだったりもする。
すべてが丸くおさまった社会なんて、実は現実にはありえない、もしくはあってはならないものなのかも知れない。
ほかの動物や生き物を制する力をもっているとは言え、所詮ひともそのひとつに過ぎない。
それでも、自然に逆らって理想郷を夢見るなら、結局はひとでなくなってしまい、例えば感情も感動もないロボットやアンドロイドにでもなるしかないのだろう。
現実に起り難いからこそ、実現のために努力や工夫を凝らしながら少しでも夢見る世界や身の回りを築こうとする意志があるから、ほかの生き物がもたない力が存在意義をもつように考えたりもする。
そうした意志がつなぎあわさった連鎖が本来ひとの社会を、時としてぶつかり衝突させたり、ぎゅっと連帯した強さを発揮したりしながら、ひと独特の社会を体現しているのだろう。
最近ニュースなどでとりあげられる翳った心が犯す、本来無為な心のバグとも思える不自然な社会現象。
加害者か被害者か、いったいどっちがどっちなのだと万華鏡の中に閉じ込められたような一角がまるでブラックホールのように思えたりもする。心の中にブラックホールが巣食ってしまったのだろうか。
不必要に追い詰める行動は決して自然の理にかないはしないけれど、だからと言ってそうした行動を魔女狩りのような行動にもちあげることも結局は、どこかの時点でチャラにしなければいけない事態へと押しやってしまう気がしないでもない。
いまあるひとの社会では、浄化することが不可能な現象なのだろうか。
江戸時代は、経済の破綻がその終焉へとつながったと考えた時、いまの時代は心の破綻が時代の終りを告げる警鐘なのだろうか。
願わくは、こらえられなくなって何かの形で社会に衝撃が加わる形ではなく、プラスな創造によってバグってしまっているひと社会の傷が治癒されるといいのだけれど。
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			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>こどもの頃に培われる感受性は、学校の教科書にみるお手本同様に、おとなの社会に入り込んだ時には正論でありながらも強く生きていくためには直接には役に立たないというものなのだろうか。</p>
<p>こどもに小言を言う時、通り一遍なことばで言動をいなそうとする時、彼らに語りかける一言二言はそもそもどのように受け取られているのだろうかと、言ったあと考えてしまうことがある。</p>
<p>理想郷を夢見ることがないこともないけれど、冷めた思考でその理想郷をながめると、結局は現実のいくつかある嫌な状況や敬遠したい事態を単に避けているだけだったりもする。</p>
<p>すべてが丸くおさまった社会なんて、実は現実にはありえない、もしくはあってはならないものなのかも知れない。</p>
<p>ほかの動物や生き物を制する力をもっているとは言え、所詮ひともそのひとつに過ぎない。</p>
<p>それでも、自然に逆らって理想郷を夢見るなら、結局はひとでなくなってしまい、例えば感情も感動もないロボットやアンドロイドにでもなるしかないのだろう。</p>
<p>現実に起り難いからこそ、実現のために努力や工夫を凝らしながら少しでも夢見る世界や身の回りを築こうとする意志があるから、ほかの生き物がもたない力が存在意義をもつように考えたりもする。</p>
<p>そうした意志がつなぎあわさった連鎖が本来ひとの社会を、時としてぶつかり衝突させたり、ぎゅっと連帯した強さを発揮したりしながら、ひと独特の社会を体現しているのだろう。</p>
<p>最近ニュースなどでとりあげられる翳った心が犯す、本来無為な心のバグとも思える不自然な社会現象。</p>
<p>加害者か被害者か、いったいどっちがどっちなのだと万華鏡の中に閉じ込められたような一角がまるでブラックホールのように思えたりもする。心の中にブラックホールが巣食ってしまったのだろうか。</p>
<p>不必要に追い詰める行動は決して自然の理にかないはしないけれど、だからと言ってそうした行動を魔女狩りのような行動にもちあげることも結局は、どこかの時点でチャラにしなければいけない事態へと押しやってしまう気がしないでもない。</p>
<p>いまあるひとの社会では、浄化することが不可能な現象なのだろうか。</p>
<p>江戸時代は、経済の破綻がその終焉へとつながったと考えた時、いまの時代は心の破綻が時代の終りを告げる警鐘なのだろうか。</p>
<p>願わくは、こらえられなくなって何かの形で社会に衝撃が加わる形ではなく、プラスな創造によってバグってしまっているひと社会の傷が治癒されるといいのだけれど。</p>
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		<title>いつか父となる子へ捧げる言葉　（４）</title>
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		<pubDate>Mon, 25 Sep 2006 13:44:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
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		<description><![CDATA[学生の頃、下宿をいくつか引越しした。
都会にでてきて、様子がよく分からない頃というのは、学内の掲示板などで斡旋されている下宿、学生ハウス（だっけ？）などへお世話になることが多い。
学生生活にも慣れてくると、友人もでき、彼らが下宿している場所を訪問する機会もでてくる。
仲間の下宿をあちこちみていくうちに、こちらが下宿しているところで気になっていた不便さを比較してしまう。
リッチな学生生活を送ろうとか、そもそも送れる立場にもなかったから、快適に就寝できる、安い、清潔、ほどほどのスペース、こうしたポイントあたりからどこで下宿、あるいはアパートを借りるかを決めたように思う。
学生生活をはじめて最初の頃は、下宿だったのが、慣れてきたら、安アパートを借りるようになっていた。
下宿って、一応個人の部屋はあるけれど、寮のような団体生活のようなものをつくりたがる住居人がいたり、場所によっては、数人が徒党を組んでしまいほかの住人への迷惑おかまいなしな行動をとることもあったりする。
度を越した事態（例えば、夜中に近所迷惑になるくらいなバカ騒ぎやらかすとか）だと、大家、管理人が注意することもあるが、ほとんどはその場しのぎしたあと、再度繰り返す。とくに、同じ学校の生徒ばかりが住人であると、まだなんとなく雰囲気が安定感をもっていたのが、住人の所属が複数の違う学校であったので、どことなくぎこちなかったところもあった。
ぎこちないとは言っても、学校についての話題に共通点が少ないというだけで、実際にはそうしたぎこちなさも、下宿先界隈の話題に共通点を見出すことで解消されていたのかも知れない。
夜更けに、ひとり２４時間オープンしていた牛丼を食べにいくよりも、下宿で起きていた誰かを誘って出かけるということもできた。
近所はとにかく似たような下宿屋が多かった。
友人、クラスメイトなどがいた別の下宿を渡り歩くのも、ときにはおもしろかった。
どうだろう、不思議と同じ下宿に数人同じ学校の学生が住んでいることは少なかった。慣れてくると、知り合いになった学生たちの下宿を５０件近くみたかと思う。下宿していた学生たちのほかに地元から通学していた友人の家へも足を運んだりしたので、そうした友人訪問だけでも行動範囲はかなり広範囲に渡っていたと思う。
そう考えると、えらくたくさん知り合いや友人が増えたのが大学生時代だった。
教室や学内では、見た目にはありふれた学生として見えなかった彼らも、下宿に遊びにいったり、自宅へおじゃましたりして彼等の世界に意図せず首を突っ込んでしまうと、平凡な学生生活を送っているようにみえていた彼らの私生活は、それほど平凡でなかったりもした。
たとえば、片親、両親不在といった家庭環境を目の当たりにした。
だからと言って、つらいとか悲しいとかいった素振りをみせることもなく、生き生きと人生を歩んでいた彼等が将来の抱負や夢などを語るのを聞く日々を過ごしていくと、へこたれそうになった時、彼等に負けるもんかという勇気が湧いてくる。
そんな日々を過ごしながら、下宿生活というものを経験したあとは、安アパートに住むようになった。引っ越したあとも、友人を訪問しなくなったわけではないので、感覚的には距離がちょっとひろくなっただけで、共同生活らしき片鱗をもった寮的な下宿生活から、やや距離をおいた共存空間という形でつきあいは続いた。
校内であいさつした程度とか、ただ授業が一緒になったといった類の知り合いをのぞいても、いま思うと毎日というとおおげさだけれど、毎週あらたに知り合いになった人の数は膨大なものだった。
なにか利害関係が存在して知り合うわけでなかったから、奇妙といえば奇妙に見えるのは、社会人として会社の仕事がらみで人と知り合う立場になった時、当時を振り返った感想だろうか。
学生というステータスで知りえたひとたちのほかに、アルバイト先で知り合ったひとたちもかなりな数いたから、世の中ってほんと様々な考え、生活をしているひとたちがいるのだと実感できた時期でもあった。
でも、その時は、そのことをいま思うようには捉えたり、意識したこともなかった。
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			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>学生の頃、下宿をいくつか引越しした。</p>
<p>都会にでてきて、様子がよく分からない頃というのは、学内の掲示板などで斡旋されている下宿、学生ハウス（だっけ？）などへお世話になることが多い。</p>
<p>学生生活にも慣れてくると、友人もでき、彼らが下宿している場所を訪問する機会もでてくる。</p>
<p>仲間の下宿をあちこちみていくうちに、こちらが下宿しているところで気になっていた不便さを比較してしまう。</p>
<p>リッチな学生生活を送ろうとか、そもそも送れる立場にもなかったから、快適に就寝できる、安い、清潔、ほどほどのスペース、こうしたポイントあたりからどこで下宿、あるいはアパートを借りるかを決めたように思う。</p>
<p>学生生活をはじめて最初の頃は、下宿だったのが、慣れてきたら、安アパートを借りるようになっていた。</p>
<p>下宿って、一応個人の部屋はあるけれど、寮のような団体生活のようなものをつくりたがる住居人がいたり、場所によっては、数人が徒党を組んでしまいほかの住人への迷惑おかまいなしな行動をとることもあったりする。</p>
<p>度を越した事態（例えば、夜中に近所迷惑になるくらいなバカ騒ぎやらかすとか）だと、大家、管理人が注意することもあるが、ほとんどはその場しのぎしたあと、再度繰り返す。とくに、同じ学校の生徒ばかりが住人であると、まだなんとなく雰囲気が安定感をもっていたのが、住人の所属が複数の違う学校であったので、どことなくぎこちなかったところもあった。</p>
<p>ぎこちないとは言っても、学校についての話題に共通点が少ないというだけで、実際にはそうしたぎこちなさも、下宿先界隈の話題に共通点を見出すことで解消されていたのかも知れない。</p>
<p>夜更けに、ひとり２４時間オープンしていた牛丼を食べにいくよりも、下宿で起きていた誰かを誘って出かけるということもできた。</p>
<p>近所はとにかく似たような下宿屋が多かった。</p>
<p>友人、クラスメイトなどがいた別の下宿を渡り歩くのも、ときにはおもしろかった。</p>
<p>どうだろう、不思議と同じ下宿に数人同じ学校の学生が住んでいることは少なかった。慣れてくると、知り合いになった学生たちの下宿を５０件近くみたかと思う。下宿していた学生たちのほかに地元から通学していた友人の家へも足を運んだりしたので、そうした友人訪問だけでも行動範囲はかなり広範囲に渡っていたと思う。</p>
<p>そう考えると、えらくたくさん知り合いや友人が増えたのが大学生時代だった。</p>
<p>教室や学内では、見た目にはありふれた学生として見えなかった彼らも、下宿に遊びにいったり、自宅へおじゃましたりして彼等の世界に意図せず首を突っ込んでしまうと、平凡な学生生活を送っているようにみえていた彼らの私生活は、それほど平凡でなかったりもした。</p>
<p>たとえば、片親、両親不在といった家庭環境を目の当たりにした。</p>
<p>だからと言って、つらいとか悲しいとかいった素振りをみせることもなく、生き生きと人生を歩んでいた彼等が将来の抱負や夢などを語るのを聞く日々を過ごしていくと、へこたれそうになった時、彼等に負けるもんかという勇気が湧いてくる。</p>
<p>そんな日々を過ごしながら、下宿生活というものを経験したあとは、安アパートに住むようになった。引っ越したあとも、友人を訪問しなくなったわけではないので、感覚的には距離がちょっとひろくなっただけで、共同生活らしき片鱗をもった寮的な下宿生活から、やや距離をおいた共存空間という形でつきあいは続いた。</p>
<p>校内であいさつした程度とか、ただ授業が一緒になったといった類の知り合いをのぞいても、いま思うと毎日というとおおげさだけれど、毎週あらたに知り合いになった人の数は膨大なものだった。</p>
<p>なにか利害関係が存在して知り合うわけでなかったから、奇妙といえば奇妙に見えるのは、社会人として会社の仕事がらみで人と知り合う立場になった時、当時を振り返った感想だろうか。</p>
<p>学生というステータスで知りえたひとたちのほかに、アルバイト先で知り合ったひとたちもかなりな数いたから、世の中ってほんと様々な考え、生活をしているひとたちがいるのだと実感できた時期でもあった。</p>
<p>でも、その時は、そのことをいま思うようには捉えたり、意識したこともなかった。</p>
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		<title>いつか父となる子へ捧げる言葉　（３）</title>
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		<pubDate>Tue, 19 Sep 2006 17:14:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
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		<description><![CDATA[こどもが成長するにつれ、親は親としての役目の終わりが近づくと感じることが多くなる。
そうした言い方は寂しくもあり、悲しくもある。
でも、それが現実でもある。
形あるものがいつしかその形が変化し、そしてなくなる。
寂しいものですが、なくならない、もとから形をもたない心や気持は残るからそれだけでもよしとすると考えがちな性格であるようです。
ひとの欲望、欲心というのも多くの場合は、あれが欲しい、これが欲しいと形あるものに惹かれるところから生まれるものだと考えたりもします。
ところが、あれもこれも、どれもこれも手にはいってしまうと、実は欲しくてもこちらが欲しい、手に入れるという努力で何とかならないのが、形のないものだったりもします。
形ないものの場合は、こちらが欲しいという気持が高まることで近づくよりも、形ないものの方がこちらを向いてくることで知らずに手中にしていることって多くありませんか？
そうすべきだとか、そうすることがいいということではありませんが、欲しいと思う気持を強くもつよりも、与えることができる、与えたいと思える気持が自然に芽生える心を大切にしたい。
世間は、そんな心をもつひとを必ずしも優遇しないという現実もありますが、だからと言って、ひとり身勝手な自分さえよければという気持で、誰かを傷つけたり苦しめたりする結果に陥れてしまうような考えはたとえむらむらと脳裏に浮かんだとしても、可能な限り行動に反映させるべきではないでしょう。
食欲同様に、心の胃袋も腹八分目、自分を満たす欲ボックスも腹二分目あたりで、ほどよいように思います。
歳くってくると、野心が家族愛に向けるエネルギーによって翳ってくるのか、無謀な野心的取り組みから堅実な中庸野心のように野心どころが変化してくるようです。
でも、まったく野心ゼロになることもなく、家族へ向ける愛情に１００％覆われることはないようです。
家族をもったから、家族第一だと考えるように、日ごと年ごとに、野心が消えうせるかというと、なかなか消えないもののようです。
家族を思うときのようなどこかマイルドなオブラートに包まれた野心とでも言うのでしょうか。
そうではなく、野心の炎が心にうずまく勢いを静めることなく、だけれども現実は家族への義理が野心に挑む勇気を圧迫していて、その結果としてその叶わない願望が仕事、あるいは家族への対応や行動でマイナスなりアクションとなってあたるということはないのでしょうか。
どうすれば、そうした葛藤による心の目指す方向とは違った行動をとらずにすむか？
まずは、家族に何かを思い、何かをするというのは「義理」でもなく、押し付けられた「義務」ではないということを知ることでしょう。
家族ということばと現実の中では、多くの場合、どうしてオレっちの家族ってこうなんだろうと思う前に、そのオレっちはどうなんだい？と自分を振り返ることが出発点であると考えます。
考えると、そう思えるとかそうできるとかは、残念ながら気持ほどにリンク、シンクロしてくれないのも現実です。シンプルに、妻よ、子よ、ありがとう、と思える自分になることから、一歩踏み出すと案外次の一歩も見えてきたりするのでしょう。
不思議なもので、天地がひっくり返っても決してこちらの心に答えてはくれないだろうと思っていた相手 &#8211; 妻であり、子 &#8211; が反応してくれるようになるものです。
嫌だと思ってする努力は、ざぶとんにもならないくらい役に立たないものです。どうして嫌な気になってしまうかは、一足飛びに努力を詰め込むからじゃないでしょうか。まずは、嫌もイェイもないくらい素朴で、何気なく自分を素直にできる、ありがとう、を心に刻むあたりから、ということでしょうね。
決して、何日そうすれば、思ったような雰囲気にできると思わない方がいいでしょう。何日かかろうと、何年かかろうと、一生かかろうと、そうありたいと思える気持ちをもてるかどうか。
家の外では、否応無く利害で左右される世界が存在しているわけですが、せめて家の中ではそうした利害を計算しない自分で家族に接することがいつしかそれまで見えていなかった宝物を目にすることもあるでしょう。
まぁ、きれいごとにしか聴こえないことばかり書いてしまっていますが、つきつめていくと、一生を悔いなく過ごしたと最後の日に思える自分でありたいか、どうでもいいか、を考えれば、形あるものに未練を残すことよりも形ないものに未練を残さない一生だったと思いたい、そんなところ。
形にならない、言葉にならない、でも、自分で自分にならないことは不可能じゃないから。
駄目押しで、
自分に悔いが残るのは、誰かがその悔いを悔いだと思っていたり、そうなんじゃないだろうかと自分が思ってしまうから悔いになるのだろうから、どんなことでも悔いだと思わないそんな家族にできれば、悔いなんか残らないはず。家族を自分の家族として心からいとしむための期限は、自分が家族の一員である期間ずっとです。
       <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=10&subd=mukom&ref=&feed=1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>こどもが成長するにつれ、親は親としての役目の終わりが近づくと感じることが多くなる。</p>
<p>そうした言い方は寂しくもあり、悲しくもある。<br />
でも、それが現実でもある。</p>
<p>形あるものがいつしかその形が変化し、そしてなくなる。</p>
<p>寂しいものですが、なくならない、もとから形をもたない心や気持は残るからそれだけでもよしとすると考えがちな性格であるようです。</p>
<p>ひとの欲望、欲心というのも多くの場合は、あれが欲しい、これが欲しいと形あるものに惹かれるところから生まれるものだと考えたりもします。</p>
<p>ところが、あれもこれも、どれもこれも手にはいってしまうと、実は欲しくてもこちらが欲しい、手に入れるという努力で何とかならないのが、形のないものだったりもします。</p>
<p>形ないものの場合は、こちらが欲しいという気持が高まることで近づくよりも、形ないものの方がこちらを向いてくることで知らずに手中にしていることって多くありませんか？</p>
<p>そうすべきだとか、そうすることがいいということではありませんが、欲しいと思う気持を強くもつよりも、与えることができる、与えたいと思える気持が自然に芽生える心を大切にしたい。</p>
<p>世間は、そんな心をもつひとを必ずしも優遇しないという現実もありますが、だからと言って、ひとり身勝手な自分さえよければという気持で、誰かを傷つけたり苦しめたりする結果に陥れてしまうような考えはたとえむらむらと脳裏に浮かんだとしても、可能な限り行動に反映させるべきではないでしょう。</p>
<p>食欲同様に、心の胃袋も腹八分目、自分を満たす欲ボックスも腹二分目あたりで、ほどよいように思います。</p>
<p>歳くってくると、野心が家族愛に向けるエネルギーによって翳ってくるのか、無謀な野心的取り組みから堅実な中庸野心のように野心どころが変化してくるようです。</p>
<p>でも、まったく野心ゼロになることもなく、家族へ向ける愛情に１００％覆われることはないようです。</p>
<p>家族をもったから、家族第一だと考えるように、日ごと年ごとに、野心が消えうせるかというと、なかなか消えないもののようです。</p>
<p>家族を思うときのようなどこかマイルドなオブラートに包まれた野心とでも言うのでしょうか。</p>
<p>そうではなく、野心の炎が心にうずまく勢いを静めることなく、だけれども現実は家族への義理が野心に挑む勇気を圧迫していて、その結果としてその叶わない願望が仕事、あるいは家族への対応や行動でマイナスなりアクションとなってあたるということはないのでしょうか。</p>
<p>どうすれば、そうした葛藤による心の目指す方向とは違った行動をとらずにすむか？</p>
<p>まずは、家族に何かを思い、何かをするというのは「義理」でもなく、押し付けられた「義務」ではないということを知ることでしょう。</p>
<p>家族ということばと現実の中では、多くの場合、どうしてオレっちの家族ってこうなんだろうと思う前に、そのオレっちはどうなんだい？と自分を振り返ることが出発点であると考えます。</p>
<p>考えると、そう思えるとかそうできるとかは、残念ながら気持ほどにリンク、シンクロしてくれないのも現実です。シンプルに、妻よ、子よ、ありがとう、と思える自分になることから、一歩踏み出すと案外次の一歩も見えてきたりするのでしょう。</p>
<p>不思議なもので、天地がひっくり返っても決してこちらの心に答えてはくれないだろうと思っていた相手 &#8211; 妻であり、子 &#8211; が反応してくれるようになるものです。</p>
<p>嫌だと思ってする努力は、ざぶとんにもならないくらい役に立たないものです。どうして嫌な気になってしまうかは、一足飛びに努力を詰め込むからじゃないでしょうか。まずは、嫌もイェイもないくらい素朴で、何気なく自分を素直にできる、ありがとう、を心に刻むあたりから、ということでしょうね。</p>
<p>決して、何日そうすれば、思ったような雰囲気にできると思わない方がいいでしょう。何日かかろうと、何年かかろうと、一生かかろうと、そうありたいと思える気持ちをもてるかどうか。</p>
<p>家の外では、否応無く利害で左右される世界が存在しているわけですが、せめて家の中ではそうした利害を計算しない自分で家族に接することがいつしかそれまで見えていなかった宝物を目にすることもあるでしょう。</p>
<p>まぁ、きれいごとにしか聴こえないことばかり書いてしまっていますが、つきつめていくと、一生を悔いなく過ごしたと最後の日に思える自分でありたいか、どうでもいいか、を考えれば、形あるものに未練を残すことよりも形ないものに未練を残さない一生だったと思いたい、そんなところ。</p>
<p>形にならない、言葉にならない、でも、自分で自分にならないことは不可能じゃないから。</p>
<p>駄目押しで、</p>
<p>自分に悔いが残るのは、誰かがその悔いを悔いだと思っていたり、そうなんじゃないだろうかと自分が思ってしまうから悔いになるのだろうから、どんなことでも悔いだと思わないそんな家族にできれば、悔いなんか残らないはず。家族を自分の家族として心からいとしむための期限は、自分が家族の一員である期間ずっとです。</p>
<img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/mukom.wordpress.com/10/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/mukom.wordpress.com/10/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/mukom.wordpress.com/10/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/mukom.wordpress.com/10/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/mukom.wordpress.com/10/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/mukom.wordpress.com/10/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/mukom.wordpress.com/10/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/mukom.wordpress.com/10/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/mukom.wordpress.com/10/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/mukom.wordpress.com/10/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/mukom.wordpress.com/10/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/mukom.wordpress.com/10/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=10&subd=mukom&ref=&feed=1" /></div>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>いつか父となる子へ捧げる言葉　（２）</title>
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		<pubDate>Sat, 02 Sep 2006 18:19:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[心フォルダー]]></category>

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		<description><![CDATA[だんだんというか、まったくフィクションな方向を向いてしまったから、これって本当に、いつか父になるこどもへ伝いたい言葉なのってふうに話がずれまくりだ。
話がフィクションであってもなくても、もしかして彼らがこのブログが読めるようなことがあれば、あぁ、オヤジってこんなこと書いていたりしたんだと思いながら、俺らのオヤジってどんな人なのかを知ってくれれば、それでいいのだから。
高校の時だっただろうか、父親になったとしたらどんな風に自分のこどものことをみるんだろうかを想像したのは、
杉田二郎の、 ANAK 息子
という曲を聴いた時だったかな。
それを聴いたよなぁという記憶ばかりが強くて、どんな歌だったのかは覚えていない。
喜怒哀楽と恋愛感情って違うものなんだろうか？
好きだ、愛しているという瞬間って怒った、笑ったふうな延長だったりなんて考えると、いけないだろうか。
初恋というか、はじめて誰かのことをいてもたってもいられなくなる衝動に包まれたときというのは、人生で最初の不思議な瞬間でもあり、純なハプニングであったりもする。
甘美な出来事で終わることもあれば、苦々しい思い出に終わることもあるだろう。
ある日突然、誰かにほのかな想いが芽生えるというのは、計画的に起こる出来事でもなく、誰かの作為によって生じるものでないから、そう、突然起きるハプニングだと思える。
どんな初恋をするのか、その初恋で何を思い、悩み、学ぶのか。
恋をするとか、恋を想うとか、赤ちゃんがはいはいを覚えるようにはいかないようで、ひとの成長の中で避けては通れない分岐路であったり、人が学習するものの中ではウルトラＣなワザを覚えるようなものなのかな。
ところが、ひとって器用なひともいれば不器用だったりもするから、できそうでできずに繰り返すさかあがりがそうだったり、練習もせずにすっとできたり、だったりする。
だけど、そんなふうに似ているようで、ひとりで練習できたり独習できるものではない。
たぶん、勉強、仕事よりももっと大事なものなんじゃないだろうか。
かならずしも、器用な恋ができるひとになって欲しいということではない。
器用というよりも、素直な恋や愛することができるひととして人生を過ごしてもらいたい、かな。
あーなって欲しい、こうなって欲しいと勝手にこちらが望んでみても、その望み通りな人生航路、人生劇場となるかどうかは本人次第三割、あと七割は運であったり、友情であったり、家族やまわりといった本人以外のことに依存・左右される。
だからといって、どうせ努力しても、がんばっても、よかった・わるかったのいずれになるかの確率はたった三割だからと最初から諦めたら、勝てる勝負も勝てなくなる。
まずは、ひとりだけが三割だからじゃなくて、みんなも三割だと分かれば、どちらに転んでいこうと、軌道修正できるはず。
本人の意思と努力が結果に及ぼす可能性が三割という具合な三割。ついていないことが続くと、ばかばかしくてやってられないと思いたくなるだろうけれど、いつまでもそうでないだろうというのは、そう続くかどうかもラッキーであって欲しい期待と結果の打率が三割なように、アンラッキーな打率も三割だろうから。
ひとよりも、少しでも余分に何かをつかもうとすると、つかもうとする分だけの努力が必要になるんだろうな。
得した気がするほどには栄養になってくれない努力というビタミン。どれだけ努力しても回数ごとの摂取必要量に上限があるからなのか、まとめて努力しても効果がないようにみえたりする。
何のため、どんな努力？
っていうのが簡単なようで、一番難しく、大変なパートのようだ。
ちょっと話がちんぷんかんぷんになってしまっているけれど、
喜怒哀楽での自然なリアクションごとく、恋愛も自然なリアクションがどこかで、淀むことなく互いに波打ち続けることができれば、たぶん何事もなく平穏無事な時間の経過として一生が流れていくのだろう。
そうできるのが、ベストだよっていうわけでもないけれど。。。
       <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=9&subd=mukom&ref=&feed=1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>だんだんというか、まったくフィクションな方向を向いてしまったから、これって本当に、いつか父になるこどもへ伝いたい言葉なのってふうに話がずれまくりだ。</p>
<p>話がフィクションであってもなくても、もしかして彼らがこのブログが読めるようなことがあれば、あぁ、オヤジってこんなこと書いていたりしたんだと思いながら、俺らのオヤジってどんな人なのかを知ってくれれば、それでいいのだから。</p>
<p>高校の時だっただろうか、父親になったとしたらどんな風に自分のこどものことをみるんだろうかを想像したのは、</p>
<p><a href="http://search.ayumex.lunarpages.com/music/search.php?q=%E6%9D%89%E7%94%B0%E4%BA%8C%E9%83%8E" target="_blank">杉田二郎</a>の、 ANAK 息子</p>
<p>という曲を聴いた時だったかな。</p>
<p>それを聴いたよなぁという記憶ばかりが強くて、どんな歌だったのかは覚えていない。</p>
<p>喜怒哀楽と恋愛感情って違うものなんだろうか？</p>
<p>好きだ、愛しているという瞬間って怒った、笑ったふうな延長だったりなんて考えると、いけないだろうか。</p>
<p>初恋というか、はじめて誰かのことをいてもたってもいられなくなる衝動に包まれたときというのは、人生で最初の不思議な瞬間でもあり、純なハプニングであったりもする。</p>
<p>甘美な出来事で終わることもあれば、苦々しい思い出に終わることもあるだろう。</p>
<p>ある日突然、誰かにほのかな想いが芽生えるというのは、計画的に起こる出来事でもなく、誰かの作為によって生じるものでないから、そう、突然起きるハプニングだと思える。</p>
<p>どんな初恋をするのか、その初恋で何を思い、悩み、学ぶのか。</p>
<p>恋をするとか、恋を想うとか、赤ちゃんがはいはいを覚えるようにはいかないようで、ひとの成長の中で避けては通れない分岐路であったり、人が学習するものの中ではウルトラＣなワザを覚えるようなものなのかな。</p>
<p>ところが、ひとって器用なひともいれば不器用だったりもするから、できそうでできずに繰り返すさかあがりがそうだったり、練習もせずにすっとできたり、だったりする。</p>
<p>だけど、そんなふうに似ているようで、ひとりで練習できたり独習できるものではない。</p>
<p>たぶん、勉強、仕事よりももっと大事なものなんじゃないだろうか。</p>
<p>かならずしも、器用な恋ができるひとになって欲しいということではない。</p>
<p>器用というよりも、素直な恋や愛することができるひととして人生を過ごしてもらいたい、かな。</p>
<p>あーなって欲しい、こうなって欲しいと勝手にこちらが望んでみても、その望み通りな人生航路、人生劇場となるかどうかは本人次第三割、あと七割は運であったり、友情であったり、家族やまわりといった本人以外のことに依存・左右される。</p>
<p>だからといって、どうせ努力しても、がんばっても、よかった・わるかったのいずれになるかの確率はたった三割だからと最初から諦めたら、勝てる勝負も勝てなくなる。</p>
<p>まずは、ひとりだけが三割だからじゃなくて、みんなも三割だと分かれば、どちらに転んでいこうと、軌道修正できるはず。</p>
<p>本人の意思と努力が結果に及ぼす可能性が三割という具合な三割。ついていないことが続くと、ばかばかしくてやってられないと思いたくなるだろうけれど、いつまでもそうでないだろうというのは、そう続くかどうかもラッキーであって欲しい期待と結果の打率が三割なように、アンラッキーな打率も三割だろうから。</p>
<p>ひとよりも、少しでも余分に何かをつかもうとすると、つかもうとする分だけの努力が必要になるんだろうな。</p>
<p>得した気がするほどには栄養になってくれない努力というビタミン。どれだけ努力しても回数ごとの摂取必要量に上限があるからなのか、まとめて努力しても効果がないようにみえたりする。</p>
<p>何のため、どんな努力？</p>
<p>っていうのが簡単なようで、一番難しく、大変なパートのようだ。</p>
<p>ちょっと話がちんぷんかんぷんになってしまっているけれど、</p>
<p>喜怒哀楽での自然なリアクションごとく、恋愛も自然なリアクションがどこかで、淀むことなく互いに波打ち続けることができれば、たぶん何事もなく平穏無事な時間の経過として一生が流れていくのだろう。</p>
<p>そうできるのが、ベストだよっていうわけでもないけれど。。。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>いつか父となる子へ捧げる言葉　（１）</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 19:24:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[心フォルダー]]></category>

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		<description><![CDATA[いつか愛する人とめぐり合いそして母親として子を育てることを夢見るこどもと、父親としてこどもたちの成長を見守ることを夢見るこども。
父親、あるいは母親としての自分をこどもの頃に想像するませたガキって最近いるのだろうか。
どんな夢なのか知ることはできないけれど、目一杯その夢を胸の奥のスケッチにひろげながら、真っ白な心のキャンバスでどんどん描きすすみ、あとを振り向くこともなくただ前に目を向け無心にそして精一杯生きているこどもたちの２０年後、３０年後を想ったフィクション、ノンフィクションとりまぜた文章を書いてみようと思う。
そう思いながら、こうして日本語で書くというのは、こどもたちにとって一生かかっても解けないなぞなぞに終わり、ついには彼らがこの文章を読むことがないかも知れない。
若い頃、結婚や家庭に、まぶしいあこがれをもっていたかというと、たぶん誰かに恋焦がれてみたい、一途に愛せるひとと出会うことがあればという想いはあったけれど、家庭や結婚にはさほど頓着していなかった、と思う。
育った家庭が不幸な環境だったからでもなく、家族の愛情をほの温かくくすぐったいものとして感じたことがなかったというわけではない。ひとりぐらしをはじめて、社会で生きていく中で知り合ったひとたちの家庭の様子と比べると、理想的な家族、家庭環境に育ったと思う。
ただ、父をサポートしたてることで家族のガタイをしっかり支えていた母という姿は、家族愛の大切なものとしての存在ではあったけれど、そこに仲睦まじい夫婦だったというふうにはみえなかった。
ドラマでみるような、仲のよい夫婦の会話というものを聞く機会はなかったから、具体的にどんな夫婦仲だったということを思い出して書くことができない。それだけの話であったりもする。
では、仲がよくなかったのか？　仲がいいんだという会話は記憶にないけれど、何度か印象に残っているのは、父と母が満面の笑みを互いに浮かべたシーン。
そもそも、誰かが誰かを愛して家族をもったというケースが少なかったような時代と場所を生きた両親だから、家族というのは愛情の証というよりも生きた証だったのかと思ったりしたんだろうか。
ざっと夫婦として家庭を築いていった半世紀。
両親が何を思い、考え、望んだのか、申し訳ないけれどほとんど考えたことってなかったと思う。
子にそう考えたり、思ったりしてもらえないのは、不幸か？
いま親として思うに、そんなことはない。
もし、そういった親への気遣いがあればあったで嬉しいけれど、そうあって欲しいと親の望む優先順位でみるとそれほど重要ではない。
求められるほどには求めないほうがいい、らしい。
こどもたちの母親である、ボクの伴侶。
死ぬほどに恋焦がれたから結婚した相手か？
謝ることはないけれど、そうした思いつめた気持や恋愛パワーで一緒になったわけではない。
何かに妥協して結婚したのか？
そういうことではないと、断じて言える。何キロの愛情がなければ結婚してはいけないという定めがあるわけでもなく、トン級の愛情を抱えて結婚した夫婦でも儚い、淡いそしてもろい愛情だったなら何トン、何万トンあろうと無意味。
それよりも、たとえ一握り、ひとつかみの愛情と、その愛情が育つのに余裕たっぷりの愛情の鉢があれば、いい。
愛情の鉢も、時間とともにときにはひびがはいったり、落したり、あるいは誰かに踏まれたりすることもある。
そんなとき、大切な鉢だと両手でひびをさすり、割れた部分を直そうという愛情のソースがあるかないかで、半世紀ちかく家族、家庭を育むことが続けられるかどうかも決まるんじゃないだろうか。
ひびがはいっても、割れても、決して捨ててはいけない愛情の鉢。
そんな鉢を心のテラスにおくことにした相手である、ボクのこどもらの母。日本人じゃない。　アジア系でもない。
彼女と結婚する以前から、結婚するのは日本人がいいとか、日本人じゃなきゃいけないと考えていたかというと、そのへんはやけにややこしい。
ひとことで言うと、日本人かどうかにこだわっているのは、ボクよりも彼女だ、という変てこな話。
コミュニケーションを考えると、意思の疎通でことばだけじゃないから、日本人どうしならまず問題なかろうというのは、「便利さ」一番な考え方だと思ったりもする。必要も必然もないところで、突然日本人じゃないひとと一緒に家庭をもつ、あるいはつきあうということは考えないから、普通はまったく別世界でのお話。
ボクの場合は、必要や必然というものがあったかというと、必ずしもそうではなかった。　もっと簡単に考えみれば、結婚したのは相手が日本人だったから、という人はほとんどいないだろう。この人だったから、そのひと言ですませることができる場合が多い。
その次か、次の次くらいに、生れも育ちも日本人じゃないです、っていう補足部分が、相手の特徴を説明として追加はできる。
親から離れて暮らしはじめて、いろいろな人と知り合って、そしてそれ以上にそのひとたちが一部になっている社会をみてきた。そうした社会にひとり首つっこんだとっかかりの頃というのは、めまぐるしく変化していくまわりの環境に置かれるごとに、時には、この人と一緒に家庭をもちたいとかもあった。
ちょっと話がずれるけれど、国際結婚っていう風にかしこまったり改まって結婚ということを考えたことはなかった。社交辞令的な挨拶では便利なひとことではあるけれど、友人どうしのつきあいでは、とりたてて国際結婚だということで特別な意味ももたなければ、洒落にも話題にもならない。
やはり、誰それという名前で相手の説明がはじまる。
異国人どうし、異文化育ちどうしが際立っていくのは、不思議なもので、自慢したい時と愚痴る時のようだ。
だから、ボクら夫婦も口論になると、そんな文句言うならどうして日本人と結婚しなかったんだ、私は日本人じゃない、といったセリフが彼女からでてくる。
そうした口論を耳にするこどもたちは、何を思うんだろうか。
だって、彼らには半分は日本人の血が流れているわけだから。
ここまで書いて、当人として考え思うことと、こどもらに対して思ってしまうことが、実はとんでもなく矛盾しているときがあったりもする。
こどもらのクラス全員でとった記念撮影写真とかをみながら、彼女が一番の友達らしいとか言って、指差す少女をみて、すっかり白人だったりすると、どうして日本人ないしはアジア系の友達と仲良くないんだろう？と変なことをまったく他人的に考えてしまうこともある。
ふと、孫とかひ孫の代になると、日本人らしい顔立ちとか残らなくなるんだろうか？　そう思うと、そうなるかも知れないきっかけになった当人のくせして寂しさを感じたりもする。
愛情の鉢の丈夫さでは、こどもたちの母親である彼女が最初で最後の人になると思うけれど、その彼女と落ち着くまでにボクを翻弄させた人がひとりいた。
まだ２０代の頃、あるイベントで知り合った人。これまでの人生で２回だけ、この世にこんな美しい人がいるんだと思ったことがある。
一度は、サンフランシスコでみかけた黒髪の人。声をかけるとか、そういうことしそうにない一見品行方正よろしき青年だったけれど、おもむろにガイドブックをバックからだして、彼女に道をたずねていた。
道をたずねることなんかは、もともと目的ではなかったけれど、「なんでしょう？」って言って振り向いたときの笑顔は、警察の「フリーズ」なんかよりも効果あった。数秒、言葉続かず彼女の笑顔にみとれてしまった。　普通、そんなリアクションすれば、怪訝な顔して去られてしまうのがオチだけれど、彼女は違った。こちらの硬直した姿をみて、振り返りざまの笑顔がさらに輝きを増すという神々しさ。
ほんの数分の出来事だったけれど、友達も一緒にいたせいもあって、電話番号や住所まで聞いてしまった。一体どこへいく道をたずねたんだ！
残念ながら、彼女はサンフランシスコの人だったから、さすがに何がなんでも再会したいという根性まではでてこず、それっきり。
もう一度だけ、後光でもさしているのかという心地よいショックを受けた出会いが、さっき書いたイベントの人。
この人の時は、道をたずねるシチュエーションでもなく、どんな言い訳をつくっても、声をかけるためのまともそうな理由がなかった。
たぶん、それまでの人生の中でもっとも緊張した。でも、いま声をかけないと二度と会えないぞというもうひとりの自分のいやみなプレッシャーのおかげで、なんて話しかけるなんていうセリフもないくせに、気がついたら彼女の前につったっていた。
彼女も、そんな冷凍庫からだしたばっかの冷凍食品か？ってなこちらの様子を怪訝な顔もせず、「こんにちは」って話しかけてきてくれた。
英会話テープの聞きだすと学習意欲よりも眠気を誘われて、いつも同じフレーズからテープが回りだすのと違って、もう、その「こんにちは」だけ永遠に聴き続けていたい。そんな「こんにちは」だった。
というか、その「こんにちは」以外の会話はあまりよく覚えていない。
でも、しっかり彼女とアドレス交換していた。
このイベントの彼女へ、その後一度手紙を書いた。アドレス交換したあと気づいたのが、電話番号聞き忘れていたので、仕方なく手紙にしたのだった。
手紙を投函したあと数週間は返事くるかなと毎日ポストをのぞく日が続いたけれど、一向に返事がきそうになかったことから、きっと無視されたのだろうと、そのうち彼女のことも忘れてしまっていた。
ところが、ある日、彼女から返信が届いていた。長く留守にしていてこちらが出した手紙のことを知らなかったらしい。彼女からの手紙には電話番号が書かれていた。
       <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=8&subd=mukom&ref=&feed=1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>いつか愛する人とめぐり合いそして母親として子を育てることを夢見るこどもと、父親としてこどもたちの成長を見守ることを夢見るこども。</p>
<p>父親、あるいは母親としての自分をこどもの頃に想像するませたガキって最近いるのだろうか。</p>
<p>どんな夢なのか知ることはできないけれど、目一杯その夢を胸の奥のスケッチにひろげながら、真っ白な心のキャンバスでどんどん描きすすみ、あとを振り向くこともなくただ前に目を向け無心にそして精一杯生きているこどもたちの２０年後、３０年後を想ったフィクション、ノンフィクションとりまぜた文章を書いてみようと思う。</p>
<p>そう思いながら、こうして日本語で書くというのは、こどもたちにとって一生かかっても解けないなぞなぞに終わり、ついには彼らがこの文章を読むことがないかも知れない。</p>
<p>若い頃、結婚や家庭に、まぶしいあこがれをもっていたかというと、たぶん誰かに恋焦がれてみたい、一途に愛せるひとと出会うことがあればという想いはあったけれど、家庭や結婚にはさほど頓着していなかった、と思う。</p>
<p>育った家庭が不幸な環境だったからでもなく、家族の愛情をほの温かくくすぐったいものとして感じたことがなかったというわけではない。ひとりぐらしをはじめて、社会で生きていく中で知り合ったひとたちの家庭の様子と比べると、理想的な家族、家庭環境に育ったと思う。</p>
<p>ただ、父をサポートしたてることで家族のガタイをしっかり支えていた母という姿は、家族愛の大切なものとしての存在ではあったけれど、そこに仲睦まじい夫婦だったというふうにはみえなかった。</p>
<p>ドラマでみるような、仲のよい夫婦の会話というものを聞く機会はなかったから、具体的にどんな夫婦仲だったということを思い出して書くことができない。それだけの話であったりもする。</p>
<p>では、仲がよくなかったのか？　仲がいいんだという会話は記憶にないけれど、何度か印象に残っているのは、父と母が満面の笑みを互いに浮かべたシーン。</p>
<p>そもそも、誰かが誰かを愛して家族をもったというケースが少なかったような時代と場所を生きた両親だから、家族というのは愛情の証というよりも生きた証だったのかと思ったりしたんだろうか。</p>
<p>ざっと夫婦として家庭を築いていった半世紀。</p>
<p>両親が何を思い、考え、望んだのか、申し訳ないけれどほとんど考えたことってなかったと思う。</p>
<p>子にそう考えたり、思ったりしてもらえないのは、不幸か？</p>
<p>いま親として思うに、そんなことはない。</p>
<p>もし、そういった親への気遣いがあればあったで嬉しいけれど、そうあって欲しいと親の望む優先順位でみるとそれほど重要ではない。</p>
<p>求められるほどには求めないほうがいい、らしい。</p>
<p>こどもたちの母親である、ボクの伴侶。</p>
<p>死ぬほどに恋焦がれたから結婚した相手か？</p>
<p>謝ることはないけれど、そうした思いつめた気持や恋愛パワーで一緒になったわけではない。</p>
<p>何かに妥協して結婚したのか？</p>
<p>そういうことではないと、断じて言える。何キロの愛情がなければ結婚してはいけないという定めがあるわけでもなく、トン級の愛情を抱えて結婚した夫婦でも儚い、淡いそしてもろい愛情だったなら何トン、何万トンあろうと無意味。</p>
<p>それよりも、たとえ一握り、ひとつかみの愛情と、その愛情が育つのに余裕たっぷりの愛情の鉢があれば、いい。</p>
<p>愛情の鉢も、時間とともにときにはひびがはいったり、落したり、あるいは誰かに踏まれたりすることもある。</p>
<p>そんなとき、大切な鉢だと両手でひびをさすり、割れた部分を直そうという愛情のソースがあるかないかで、半世紀ちかく家族、家庭を育むことが続けられるかどうかも決まるんじゃないだろうか。</p>
<p>ひびがはいっても、割れても、決して捨ててはいけない愛情の鉢。</p>
<p>そんな鉢を心のテラスにおくことにした相手である、ボクのこどもらの母。日本人じゃない。　アジア系でもない。</p>
<p>彼女と結婚する以前から、結婚するのは日本人がいいとか、日本人じゃなきゃいけないと考えていたかというと、そのへんはやけにややこしい。</p>
<p>ひとことで言うと、日本人かどうかにこだわっているのは、ボクよりも彼女だ、という変てこな話。</p>
<p>コミュニケーションを考えると、意思の疎通でことばだけじゃないから、日本人どうしならまず問題なかろうというのは、「便利さ」一番な考え方だと思ったりもする。必要も必然もないところで、突然日本人じゃないひとと一緒に家庭をもつ、あるいはつきあうということは考えないから、普通はまったく別世界でのお話。</p>
<p>ボクの場合は、必要や必然というものがあったかというと、必ずしもそうではなかった。　もっと簡単に考えみれば、結婚したのは相手が日本人だったから、という人はほとんどいないだろう。この人だったから、そのひと言ですませることができる場合が多い。</p>
<p>その次か、次の次くらいに、生れも育ちも日本人じゃないです、っていう補足部分が、相手の特徴を説明として追加はできる。</p>
<p>親から離れて暮らしはじめて、いろいろな人と知り合って、そしてそれ以上にそのひとたちが一部になっている社会をみてきた。そうした社会にひとり首つっこんだとっかかりの頃というのは、めまぐるしく変化していくまわりの環境に置かれるごとに、時には、この人と一緒に家庭をもちたいとかもあった。</p>
<p>ちょっと話がずれるけれど、国際結婚っていう風にかしこまったり改まって結婚ということを考えたことはなかった。社交辞令的な挨拶では便利なひとことではあるけれど、友人どうしのつきあいでは、とりたてて国際結婚だということで特別な意味ももたなければ、洒落にも話題にもならない。</p>
<p>やはり、誰それという名前で相手の説明がはじまる。</p>
<p>異国人どうし、異文化育ちどうしが際立っていくのは、不思議なもので、自慢したい時と愚痴る時のようだ。</p>
<p>だから、ボクら夫婦も口論になると、そんな文句言うならどうして日本人と結婚しなかったんだ、私は日本人じゃない、といったセリフが彼女からでてくる。</p>
<p>そうした口論を耳にするこどもたちは、何を思うんだろうか。</p>
<p>だって、彼らには半分は日本人の血が流れているわけだから。</p>
<p>ここまで書いて、当人として考え思うことと、こどもらに対して思ってしまうことが、実はとんでもなく矛盾しているときがあったりもする。</p>
<p>こどもらのクラス全員でとった記念撮影写真とかをみながら、彼女が一番の友達らしいとか言って、指差す少女をみて、すっかり白人だったりすると、どうして日本人ないしはアジア系の友達と仲良くないんだろう？と変なことをまったく他人的に考えてしまうこともある。</p>
<p>ふと、孫とかひ孫の代になると、日本人らしい顔立ちとか残らなくなるんだろうか？　そう思うと、そうなるかも知れないきっかけになった当人のくせして寂しさを感じたりもする。</p>
<p>愛情の鉢の丈夫さでは、こどもたちの母親である彼女が最初で最後の人になると思うけれど、その彼女と落ち着くまでにボクを翻弄させた人がひとりいた。</p>
<p>まだ２０代の頃、あるイベントで知り合った人。これまでの人生で２回だけ、この世にこんな美しい人がいるんだと思ったことがある。</p>
<p>一度は、サンフランシスコでみかけた黒髪の人。声をかけるとか、そういうことしそうにない一見品行方正よろしき青年だったけれど、おもむろにガイドブックをバックからだして、彼女に道をたずねていた。</p>
<p>道をたずねることなんかは、もともと目的ではなかったけれど、「なんでしょう？」って言って振り向いたときの笑顔は、警察の「フリーズ」なんかよりも効果あった。数秒、言葉続かず彼女の笑顔にみとれてしまった。　普通、そんなリアクションすれば、怪訝な顔して去られてしまうのがオチだけれど、彼女は違った。こちらの硬直した姿をみて、振り返りざまの笑顔がさらに輝きを増すという神々しさ。</p>
<p>ほんの数分の出来事だったけれど、友達も一緒にいたせいもあって、電話番号や住所まで聞いてしまった。一体どこへいく道をたずねたんだ！</p>
<p>残念ながら、彼女はサンフランシスコの人だったから、さすがに何がなんでも再会したいという根性まではでてこず、それっきり。</p>
<p>もう一度だけ、後光でもさしているのかという心地よいショックを受けた出会いが、さっき書いたイベントの人。</p>
<p>この人の時は、道をたずねるシチュエーションでもなく、どんな言い訳をつくっても、声をかけるためのまともそうな理由がなかった。</p>
<p>たぶん、それまでの人生の中でもっとも緊張した。でも、いま声をかけないと二度と会えないぞというもうひとりの自分のいやみなプレッシャーのおかげで、なんて話しかけるなんていうセリフもないくせに、気がついたら彼女の前につったっていた。</p>
<p>彼女も、そんな冷凍庫からだしたばっかの冷凍食品か？ってなこちらの様子を怪訝な顔もせず、「こんにちは」って話しかけてきてくれた。</p>
<p>英会話テープの聞きだすと学習意欲よりも眠気を誘われて、いつも同じフレーズからテープが回りだすのと違って、もう、その「こんにちは」だけ永遠に聴き続けていたい。そんな「こんにちは」だった。</p>
<p>というか、その「こんにちは」以外の会話はあまりよく覚えていない。<br />
でも、しっかり彼女とアドレス交換していた。</p>
<p>このイベントの彼女へ、その後一度手紙を書いた。アドレス交換したあと気づいたのが、電話番号聞き忘れていたので、仕方なく手紙にしたのだった。</p>
<p>手紙を投函したあと数週間は返事くるかなと毎日ポストをのぞく日が続いたけれど、一向に返事がきそうになかったことから、きっと無視されたのだろうと、そのうち彼女のことも忘れてしまっていた。</p>
<p>ところが、ある日、彼女から返信が届いていた。長く留守にしていてこちらが出した手紙のことを知らなかったらしい。彼女からの手紙には電話番号が書かれていた。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>君がいたから、</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Aug 2006 19:44:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[心フォルダー]]></category>

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		<description><![CDATA[学生の頃。
とは言っても、すでに大学生になって、そろそろ成人式かなという頃、知り合ったクラスメートの話。
大学は高校の頃と違って、隣に誰が座っているとか、どんな奴がクラスメートなのか、さっぱり無頓着だった。
大学に入れたことで、目標がなくなってしまったのだろうか。
授業にでても、かろうじて存在感を意識させられたクラスメートぐらいで、落第しないように勉強しなきゃ、と思わなかったし、緊張感がどうしてももてなかった。
ある日、留学生会館だったろうか。
談話室のソファーに、社会に出る前の４年間のバケーションっとかいったタイトルで、日本の大学生活が英語で紹介されていた雑誌がころがっていた。
その大学がそうだという意味で紹介されていたわけではなかったけれど、
大学にいくって、一体なんだったんだろうと思ってしまった。
幸か不幸か、ロングバケーションな大学生活にはならなかった。
そのきっかけのひとつが、彼との出会いだった。
無頓着で、クラスメートに誰がいるとか、クラスメートの誰は何しているなんか、さっぱり気にかけることなく、過ごしていた。隣がどんな奴かにあまり興味もなかったけれど、たぶんなんてことないきっかけで、バイトしていた先の用事で週のうち３日ほど通うことのあった街の雑誌社に勤めていることをしった。仮に、島内（しまうち）としておこう。
島内が勤める雑誌社はよほどひまだったのか、こちらがたずねる度に午後まで時間の空いたこちらのひまにつきあってくれていた。
ついでに、どのくらい暇ができたかを書いておくと、お昼食べて、映画一本みて、それでもしばらくほっつきあるいていられるぐらいの暇がある時がほとんどだった。
そのアルバイトをはじめて、島内がいる街で片付けなければいけない用事がどんな内容かを把握するにしたがって、徒歩では時間の間に合わない場合があると職場の人たちを説得し、自転車を購入。間に合わないというリスクは回避でき、おつりとして待ち時間が以前よりも長いものになった。
島内と、週に１，２度彼のバイト先の地下にあった喫茶店で世間話をしていたと思う。
ただし、どんな話をしていたのかは、実はよく覚えていない。授業のこととか話していたのだろうか。
そんなある時、こちらが日本の外へ冒険にでかけるという話をしたことがあった。
すると、島内が、南の方へいくのだったら、是非伊東に会えばといってきた。
「伊東？」って誰だ？
「誰って。おれたちのクラスメートじゃないか。忘れたのか？」
「忘れたとかじゃなくて、知らない。そんな奴」
島内と週１・２二度会っていると、彼もこちらがちゃんと授業にでているかのような錯覚にあったようで、実はこちらがあまり学校へ行っていないというのにはじめて気づいたようだ。
そして、島内にメモしてもらった幻のクラスメート、伊東をたずねて南のそのメモされた住所をたずねてみた。
その住所にとどりついて、ブザー（チャイムだったかな）を押してしばらく待つと、なんかすげーお姉さんがでてきた。伊東ってこんなお姉さんが住んでいるところに下宿しているのか。なんて思いながら、伊東が不在なことを聞き、もうしばらくして、伊東が戻ってきそうな時間に出直してくるといって、その家を去った。
２度目に伊東の下宿を訪ねたときは、ちゃんと伊東がいた。
まるっきり、初対面とも言えるような挨拶で、互いに「お前が幻のクラスメートか」と言い合って、大笑いした。
伊東は日本を離れてすでに数ヶ月経っていたので、こちらよりも土地の言葉に慣れていた。その彼の案内で、確か１週間ほど、彼の友人たちに紹介してもらったり、その友人たちの家に招待してもらったり、うん、これって日本じゃないんだよなっていう経験をすることができた。
その一週間、彼の友人たちとも楽しく過ごしたけれど、こちらも前年知り合いになった友人の家に泊めてもらうことになった。一日中、伊東や友人たちとほっつき歩いていたので、夜ベッドを借りただけの家だったけれど、彼氏と喧嘩中だった１７歳の妹さんや、野心旺盛のそのお兄さんやら、へんてこな家庭環境などを知ったのは、寝泊りはじめてから。さすがに、なんだか居ずらいといってホテルへ引っ越すには、これまた微妙な空気があったりして、結局１週間がんばってしまった。
そんなあっと言う間の一週間が過ぎて、伊東ともわかれ、帰国した。
伊東も数ヶ月すると、日本に戻ってきた。
その後、日本に戻った伊東の異国の友人たちのことを共通の話題として話せることができたのが他にいないとかも理由だったのだろうけれど、伊東とバカやったり、一緒に友達付き合いすることが多くなった。
そうしてまた時は過ぎて、またあの土地へやってくる機会に恵まれた。
本来なら、またやってくることができたこの機会に感謝し、その機会をより幸せな時間として過ごせるように努力すべきだった。実際に、努力はしたし、結果も予想以上のものを得ることができたり、決して無駄ではなかった。
ただ、ひとりぼっちで異国でいると、日本にいると絶対考えないだろうと思うようなことを考え、そして実行してしまう時もあったりする。
ここまで書いて、なぜこんなこと書いているんだろうか、と。
つぶやきがつぶやきでなくなったら、おしまいかな。
       <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=7&subd=mukom&ref=&feed=1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>学生の頃。</p>
<p>とは言っても、すでに大学生になって、そろそろ成人式かなという頃、知り合ったクラスメートの話。</p>
<p>大学は高校の頃と違って、隣に誰が座っているとか、どんな奴がクラスメートなのか、さっぱり無頓着だった。</p>
<p>大学に入れたことで、目標がなくなってしまったのだろうか。</p>
<p>授業にでても、かろうじて存在感を意識させられたクラスメートぐらいで、落第しないように勉強しなきゃ、と思わなかったし、緊張感がどうしてももてなかった。</p>
<p>ある日、留学生会館だったろうか。</p>
<p>談話室のソファーに、社会に出る前の４年間のバケーションっとかいったタイトルで、日本の大学生活が英語で紹介されていた雑誌がころがっていた。</p>
<p>その大学がそうだという意味で紹介されていたわけではなかったけれど、</p>
<p>大学にいくって、一体なんだったんだろうと思ってしまった。</p>
<p>幸か不幸か、ロングバケーションな大学生活にはならなかった。</p>
<p>そのきっかけのひとつが、彼との出会いだった。</p>
<p>無頓着で、クラスメートに誰がいるとか、クラスメートの誰は何しているなんか、さっぱり気にかけることなく、過ごしていた。隣がどんな奴かにあまり興味もなかったけれど、たぶんなんてことないきっかけで、バイトしていた先の用事で週のうち３日ほど通うことのあった街の雑誌社に勤めていることをしった。仮に、島内（しまうち）としておこう。</p>
<p>島内が勤める雑誌社はよほどひまだったのか、こちらがたずねる度に午後まで時間の空いたこちらのひまにつきあってくれていた。</p>
<p>ついでに、どのくらい暇ができたかを書いておくと、お昼食べて、映画一本みて、それでもしばらくほっつきあるいていられるぐらいの暇がある時がほとんどだった。</p>
<p>そのアルバイトをはじめて、島内がいる街で片付けなければいけない用事がどんな内容かを把握するにしたがって、徒歩では時間の間に合わない場合があると職場の人たちを説得し、自転車を購入。間に合わないというリスクは回避でき、おつりとして待ち時間が以前よりも長いものになった。</p>
<p>島内と、週に１，２度彼のバイト先の地下にあった喫茶店で世間話をしていたと思う。</p>
<p>ただし、どんな話をしていたのかは、実はよく覚えていない。授業のこととか話していたのだろうか。</p>
<p>そんなある時、こちらが日本の外へ冒険にでかけるという話をしたことがあった。<br />
すると、島内が、南の方へいくのだったら、是非伊東に会えばといってきた。</p>
<p>「伊東？」って誰だ？</p>
<p>「誰って。おれたちのクラスメートじゃないか。忘れたのか？」</p>
<p>「忘れたとかじゃなくて、知らない。そんな奴」</p>
<p>島内と週１・２二度会っていると、彼もこちらがちゃんと授業にでているかのような錯覚にあったようで、実はこちらがあまり学校へ行っていないというのにはじめて気づいたようだ。</p>
<p>そして、島内にメモしてもらった幻のクラスメート、伊東をたずねて南のそのメモされた住所をたずねてみた。</p>
<p>その住所にとどりついて、ブザー（チャイムだったかな）を押してしばらく待つと、なんかすげーお姉さんがでてきた。伊東ってこんなお姉さんが住んでいるところに下宿しているのか。なんて思いながら、伊東が不在なことを聞き、もうしばらくして、伊東が戻ってきそうな時間に出直してくるといって、その家を去った。</p>
<p>２度目に伊東の下宿を訪ねたときは、ちゃんと伊東がいた。</p>
<p>まるっきり、初対面とも言えるような挨拶で、互いに「お前が幻のクラスメートか」と言い合って、大笑いした。</p>
<p>伊東は日本を離れてすでに数ヶ月経っていたので、こちらよりも土地の言葉に慣れていた。その彼の案内で、確か１週間ほど、彼の友人たちに紹介してもらったり、その友人たちの家に招待してもらったり、うん、これって日本じゃないんだよなっていう経験をすることができた。</p>
<p>その一週間、彼の友人たちとも楽しく過ごしたけれど、こちらも前年知り合いになった友人の家に泊めてもらうことになった。一日中、伊東や友人たちとほっつき歩いていたので、夜ベッドを借りただけの家だったけれど、彼氏と喧嘩中だった１７歳の妹さんや、野心旺盛のそのお兄さんやら、へんてこな家庭環境などを知ったのは、寝泊りはじめてから。さすがに、なんだか居ずらいといってホテルへ引っ越すには、これまた微妙な空気があったりして、結局１週間がんばってしまった。</p>
<p>そんなあっと言う間の一週間が過ぎて、伊東ともわかれ、帰国した。</p>
<p>伊東も数ヶ月すると、日本に戻ってきた。<br />
その後、日本に戻った伊東の異国の友人たちのことを共通の話題として話せることができたのが他にいないとかも理由だったのだろうけれど、伊東とバカやったり、一緒に友達付き合いすることが多くなった。</p>
<p>そうしてまた時は過ぎて、またあの土地へやってくる機会に恵まれた。</p>
<p>本来なら、またやってくることができたこの機会に感謝し、その機会をより幸せな時間として過ごせるように努力すべきだった。実際に、努力はしたし、結果も予想以上のものを得ることができたり、決して無駄ではなかった。</p>
<p>ただ、ひとりぼっちで異国でいると、日本にいると絶対考えないだろうと思うようなことを考え、そして実行してしまう時もあったりする。</p>
<p>ここまで書いて、なぜこんなこと書いているんだろうか、と。</p>
<p>つぶやきがつぶやきでなくなったら、おしまいかな。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>孝行</title>
		<link>http://mukom.wordpress.com/2006/08/26/%e5%ad%9d%e8%a1%8c/</link>
		<comments>http://mukom.wordpress.com/2006/08/26/%e5%ad%9d%e8%a1%8c/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 26 Aug 2006 05:20:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[心フォルダー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://mukom.wordpress.com/2006/08/26/%e5%ad%9d%e8%a1%8c/</guid>
		<description><![CDATA[ドラマになって、たくさんの人たちの涙をさそったお話を過去
いくつかみたことがある。
たしかに、いかに観衆の涙を誘うかが目的のひとつでもある
ことから、目頭を熱くするシーンはある。
ところが、感動の仕方っていつも一様ではなかった。
ほとんどフィクションというドラマの場合は、うまくできた話だとか
悲しい話だね、でおしまい。
ところが、実話や、こちらが見聞きした実話と近い内容やタッチを
もったフィクションというのは、ドラマとしてできている部分に反応する
部分と、こちらの身近な話と接点があまりに生々しくて、
涙をそそうというだけでなくなってしまう。
目頭が熱くなるっていう涙じゃなくて、心の中でぽっかりと、なんだろう。
誰かのの死を知るということを、全然知らない人の死と、親友あるいはその
家族、あるいは自分の家族の誰かという場合をそれぞれ考えてみるといい。
みたこともない、聞いたこともなかった、ましてやあったこともない人が亡くなった
というニュースをみても、それだけで泣いたりする人はいないだろう。
親友、家族といった近い関係にある誰かが亡くなった場合というのは、泣いて
その悲しみを追悼する、それでも　ほころびが繕えないような気持に溺れてしまって
いるような、そんな心になる。
いつか親孝行したいと思っていた彼の思いは、結局叶うことなく、しかも最後の
別れさえ告げることできずに親を失ってしまった。
生まれてしばらくして大病に見舞われた幼子だった彼を、なりふりかまわず守り
救おうとした親の姿が、年端のいかない彼のおさない記憶に残っているらしい。
大病は難病と診断され、同じ病気だった同じ病室の友達たちの数は、いつしか
減っていった。
彼も、もうダメだろうという瞬間があったらしいが、小学校に入学、そして中学へと
進学。
中学に入ってしばらくして、病院でいつまでの命かも知れないと幼い頃に
告知されたことを思い出させるような瞬間が幾度かあったらしい。
そうしたビクッとする瞬間を乗り越える度に、このまま人生をつつがなく過ごせる
んじゃないだろうかと思うようになったらしい。
結局、高校から大学、就職というように、誰もが当然すすめる道以上の半生を
過ごすことができたようだった。そして、最後のお別れを告げる機会もなく親を
亡くしたらしい。
そのうち小さい頃迷惑や心配をかけた分以上に親孝行したいと思っていた
のに、結局何もできず、親を失ったという格好になってしまったようだ。
それから、何年か過ぎ、何も親孝行できなかった親に対して、なんてオレって
親不孝な奴なんだと自分を責めていた彼だけれど、
彼の子供が思春期にさしかかっている。
自身を慰めるためではないらしいが、親として
子供にしてもらいたい孝行とはなんだろう、を考えたらしい。
こどもに望むことが叶うこと。
苦労してもいい、でも、精一杯生きることができたと悔いを残さない
人生を歩んでくれることが、一番の孝行だろうか。
そう思ったあと、彼の親もそう思ったのだろうかと。
身勝手で、我侭で、苦労の種にしかならなかった。
何も親孝行できなくて、
ほんと、ごめん、
思いたいことと、思うこととは、まとめられそうでまとまらないものらしい。
       <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=6&subd=mukom&ref=&feed=1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>ドラマになって、たくさんの人たちの涙をさそったお話を過去</p>
<p>いくつかみたことがある。</p>
<p>たしかに、いかに観衆の涙を誘うかが目的のひとつでもある</p>
<p>ことから、目頭を熱くするシーンはある。</p>
<p>ところが、感動の仕方っていつも一様ではなかった。</p>
<p>ほとんどフィクションというドラマの場合は、うまくできた話だとか</p>
<p>悲しい話だね、でおしまい。</p>
<p>ところが、実話や、こちらが見聞きした実話と近い内容やタッチを</p>
<p>もったフィクションというのは、ドラマとしてできている部分に反応する</p>
<p>部分と、こちらの身近な話と接点があまりに生々しくて、</p>
<p>涙をそそうというだけでなくなってしまう。</p>
<p>目頭が熱くなるっていう涙じゃなくて、心の中でぽっかりと、なんだろう。</p>
<p>誰かのの死を知るということを、全然知らない人の死と、親友あるいはその</p>
<p>家族、あるいは自分の家族の誰かという場合をそれぞれ考えてみるといい。</p>
<p>みたこともない、聞いたこともなかった、ましてやあったこともない人が亡くなった</p>
<p>というニュースをみても、それだけで泣いたりする人はいないだろう。</p>
<p>親友、家族といった近い関係にある誰かが亡くなった場合というのは、泣いて</p>
<p>その悲しみを追悼する、それでも　ほころびが繕えないような気持に溺れてしまって</p>
<p>いるような、そんな心になる。</p>
<p>いつか親孝行したいと思っていた彼の思いは、結局叶うことなく、しかも最後の<br />
別れさえ告げることできずに親を失ってしまった。</p>
<p>生まれてしばらくして大病に見舞われた幼子だった彼を、なりふりかまわず守り<br />
救おうとした親の姿が、年端のいかない彼のおさない記憶に残っているらしい。</p>
<p>大病は難病と診断され、同じ病気だった同じ病室の友達たちの数は、いつしか</p>
<p>減っていった。</p>
<p>彼も、もうダメだろうという瞬間があったらしいが、小学校に入学、そして中学へと</p>
<p>進学。</p>
<p>中学に入ってしばらくして、病院でいつまでの命かも知れないと幼い頃に</p>
<p>告知されたことを思い出させるような瞬間が幾度かあったらしい。</p>
<p>そうしたビクッとする瞬間を乗り越える度に、このまま人生をつつがなく過ごせる</p>
<p>んじゃないだろうかと思うようになったらしい。</p>
<p>結局、高校から大学、就職というように、誰もが当然すすめる道以上の半生を</p>
<p>過ごすことができたようだった。そして、最後のお別れを告げる機会もなく親を</p>
<p>亡くしたらしい。</p>
<p>そのうち小さい頃迷惑や心配をかけた分以上に親孝行したいと思っていた</p>
<p>のに、結局何もできず、親を失ったという格好になってしまったようだ。</p>
<p>それから、何年か過ぎ、何も親孝行できなかった親に対して、なんてオレって</p>
<p>親不孝な奴なんだと自分を責めていた彼だけれど、</p>
<p>彼の子供が思春期にさしかかっている。</p>
<p>自身を慰めるためではないらしいが、親として</p>
<p>子供にしてもらいたい孝行とはなんだろう、を考えたらしい。</p>
<p>こどもに望むことが叶うこと。</p>
<p>苦労してもいい、でも、精一杯生きることができたと悔いを残さない</p>
<p>人生を歩んでくれることが、一番の孝行だろうか。</p>
<p>そう思ったあと、彼の親もそう思ったのだろうかと。</p>
<p>身勝手で、我侭で、苦労の種にしかならなかった。<br />
何も親孝行できなくて、<br />
ほんと、ごめん、</p>
<p>思いたいことと、思うこととは、まとめられそうでまとまらないものらしい。</p>
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		<item>
		<title>軌道修正</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Aug 2006 04:11:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[心フォルダー]]></category>

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		<description><![CDATA[ここにブログつくろうと思った動機は、実は高尚なものなどではもちろんなく、  あるいは程度の低い意識から数だけ増やせばブログというわけでもない。  つくった瞬間は、幕末の頃のことについてちょっと書けるといいかなぁ  と思い、カテゴリーにも幕末というのをおいた。  司馬遼太郎をはじめ、数々の歴史小説を読むにはことかかないけれど、  最近　幕末という時代が日本にとって何だったのかを考えようと思ったりした。   幕末に限らず、戦国時代、日本以外の土地の歴史に登場する人物を  みると、ヒーローと言われるほどの存在ほど、結局誰にとっての  ヒーローだったというよりも、何のためのヒーローだったのかと問うてしまう  結末が多いように思った。   所詮、時には強く、時には心持ち加減に、時代の駆動に関与していった  ただそれだけのものなのだろう。  たかが、歴史の数行に登場するだけかも知れないけれど、  歴史の進路をも変えてしまうエネルギーを、あるときにはプラスに  またあるときにはマイナスに作用しながらも、発したものだな。   歴史上の駒ひとこまや瞬間に光りをどれほど帯びた存在かは  さておいたことを書くことに変更。
       <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=5&subd=mukom&ref=&feed=1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>ここにブログつくろうと思った動機は、実は高尚なものなどではもちろんなく、  あるいは程度の低い意識から数だけ増やせばブログというわけでもない。  つくった瞬間は、幕末の頃のことについてちょっと書けるといいかなぁ  と思い、カテゴリーにも幕末というのをおいた。  司馬遼太郎をはじめ、数々の歴史小説を読むにはことかかないけれど、  最近　幕末という時代が日本にとって何だったのかを考えようと思ったりした。   幕末に限らず、戦国時代、日本以外の土地の歴史に登場する人物を  みると、ヒーローと言われるほどの存在ほど、結局誰にとっての  ヒーローだったというよりも、何のためのヒーローだったのかと問うてしまう  結末が多いように思った。   所詮、時には強く、時には心持ち加減に、時代の駆動に関与していった  ただそれだけのものなのだろう。  たかが、歴史の数行に登場するだけかも知れないけれど、  歴史の進路をも変えてしまうエネルギーを、あるときにはプラスに  またあるときにはマイナスに作用しながらも、発したものだな。   歴史上の駒ひとこまや瞬間に光りをどれほど帯びた存在かは  さておいたことを書くことに変更。</p>
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		<item>
		<title>つい、</title>
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		<pubDate>Tue, 22 Aug 2006 20:35:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mukom</dc:creator>
				<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[アカウント作ってしまった。
やっぱり、ブログは WordPressが使いやすくていい。
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			<content:encoded><![CDATA[<div class='snap_preview'><br /><p>アカウント作ってしまった。</p>
<p>やっぱり、ブログは WordPressが使いやすくていい。</p>
<img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/mukom.wordpress.com/3/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/mukom.wordpress.com/3/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/mukom.wordpress.com/3/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/mukom.wordpress.com/3/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/mukom.wordpress.com/3/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/mukom.wordpress.com/3/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/mukom.wordpress.com/3/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/mukom.wordpress.com/3/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/mukom.wordpress.com/3/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/mukom.wordpress.com/3/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/mukom.wordpress.com/3/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/mukom.wordpress.com/3/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=mukom.wordpress.com&blog=371504&post=3&subd=mukom&ref=&feed=1" /></div>]]></content:encoded>
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